「家相」は日本発祥?
風水について調べていると、
「家相」という言葉がちょいちょい出てくる。
逆に、家相について調べていると、
当たり前のように「家相・風水」というワードが・・・。
同じ意味で使われているWEBサイトもあり、
読む方としては混乱してしまいますよね。
この2つ、似ているようでいて、実は違います。
ご存知の通り、風水は中国で発祥した「環境学」。
太陽や風、大地、樹木、そして人・・・
あらゆる物から発せられる“気”の流れに着目し、
どうすれば良い“気”を取り入れられるか?を追求します。
一方の「家相」は、実は日本生まれ!
風水の考え方をベースにしていますが、
日本の気候条件や文化が色濃く反映された環境学です。
中国の風水には、墓地に関する「陰宅風水」と
生きている時に住む家に関する「陽宅風水」があります。
日本には、主に後者が取り入れられ、
ここに日本オリジナルの鬼門思想がプラスされて
家の位置や方位、間取りなどの吉凶を鑑定する形になったようです。
いずれも、「快適な生活を送るため」に生み出された
という点では共通していますが、
細かい部分では様々な違いがあります。
両者の具体的な違いとしては、次のような点が挙げられるでしょう。
家相では北東を「鬼門」、南西を「裏鬼門」として
忌み嫌っており、この方角に玄関やトイレを作るのは
避けるべきだと考えます。
一方、中国の風水では一概に凶方とは考えていません。
家相学では、玄関やトイレなどの位置にはこだわりますが
家具の配置までは明確には定められていません。
物のレイアウトというよりは、
家そのものの「欠け」や「張り」で吉凶を判断します。
風水では、玄関の向きやベッドの向き、
ガスコンロとシンクの位置関係、
家電製品の配置・・・と、
物のレイアウトが細かく決められています。
色を使った開運術も風水ならではですね。
家相では、東、南東、北西を吉方位としています。
基本的には、
「家の方位によって人の吉凶が決まる」という考え方です。
これに対して中国風水では、建物の構造や向き、
地相、住む人の生年月日で吉凶を判断します。
家相に比べて、占いの要素が色濃いように感じられます。
家相では、八方位を45度ずつ分割する派と、
東西南北を各30度の幅を持たせて設定する派があります。
風水では、八方位を45度ずつ。
さらに各15度に分けて
全24方位で細かく判断します。
どちらも「方位」を重視する
個人的な印象としては、家相よりも風水のほうが
より緻密で理論的。
家相のほうが、“感覚重視”なのではないか、
という感想を持ちました。
日本人は、場の空気を敏感に感じて
“察する”ことに長けた民族ですから、
住宅の吉凶を判断する際にも
独特の“感覚”を生かしたということなのかもしれません。
さて、家相と風水に共通していることは、
「方位」を重視するということですね。
何を持って「吉」とするかは違っていますが、
各方位がなんらかの意味を持ち、
それが私たちの生活に影響を及ぼすと考えたという点では
家相も風水も同じです。
家相で言う「八方位」とは、東西南北と北東・南東・南西・北西。
そのうち、鬼門である北東は「日が当たりにくい」、
裏鬼門である「南西」は西日が強すぎて物が傷みやすく
また、台風などの自然災害による影響が大きい方位
ということで忌み嫌われています。
この2つの方角に門、玄関、トイレ、キッチンがある家は「凶相」で
災厄に見舞われやすいと言われています。
ちなみに、日本では古くから「北は神聖な方位」
という考え方があり、
北にトイレを作ることもNGとされてきました。
ただ、吉方位と言われる東や南東、北西でも、
家に“欠け”があれば凶相になります。
ですから、家を建てる際には方位と家の形状を併せて考える必要があり、
かなり緻密な計算が求められることになるんですね。
日本に風水が定着しなかった理由とは
このように、似ているように見えて
細部に違いのある家相と風水。
でも・・・考えてみると不思議ではありませんか?
元々、風水をベースにしているのであれば、
あれこれアレンジせずにそのまま普及させれば良かったのに・・・。
なぜ、中国生まれの風水は日本に定着しなかったのか。
その理由の一つは、「鎖国」です。
ちょうと中国で風水が栄えた時代は、
日本が鎖国をしていた時期と重なっているんですね。
ゆえに、中国から十分な技術を学ぶことができなかったわけです。
風水をマスターするには、師匠に弟子入りして
最低でも10年は修行が必要だと言われていますから、
当時の日本人には不可能だったんですね。
本場の風水とはちょっと違った、
ある意味で日本ならではのオリジナリティをもった「家相学」が生まれたのは、
このような歴史的背景があったのです!
家相学は、細かく突き詰めていくと、やはり
本場の中国風水に比べて詰めの甘さのようなものを感じる部分もあり、
賛否両論ある学問でもあります。
しかし日本人でなければ感じ取れない
感覚的な部分には共感できる要素も多く、
スッと“腹落ちする”学問であることは確かです。